東京高等裁判所 昭和39年(う)575号 判決 1965年10月06日
主文
本件各控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。
理由
本件控訴の趣意は弁護人馬場東作・同高橋秋一郎・同福井忠孝が連名で差し出した控訴趣意書に記載されたとおりで、これに対する当裁判所の判断は以下に示すとおりである。
控訴趣意一の(イ)(「TVアワー・オブ・スターズ」関係)について。
論旨は、テレビ映画「TVアワー・オブ・スターズ」については、大蔵大臣が昭和三六年三月二四日にナシヨナル・テレフイルム・アソシエイツ・インコーポレイテツド(以下「NTA」という。)とRKB毎日放送株式会社(以下「RKB」という。)との役務契約を許可しておきながら、昭和三六年度上半期以後外貨事情によりこれに必要なだけの外貨の割当をしなかつたため、これがシリーズ用の映画であつた関係上RKBおよびそのネツト局が窮境に陥り、NTAの代理店としてその契約に当たつた被告人会社も苦境に立つたので、やむなく外貨割当額と本来送金すべき額との差額を送金したもので、この行為はいわゆる期待可能性を欠くものだというのである。
そこで、この事実関係をいま少しくわしく見てみると、右のテレビ映画「TVアワー・オブ・スターズ」は三七本から成るシリーズ用映画で、その放映権の賃借に関する契約は昭和三六年一月二〇日にNTAの代理店である被告人会社とRKB毎日放送株式会社との間に締結され、その契約によれば、この映画の放送は第一話納入後一年以内に行なうこととされ、RKBは政府から一本につき七〇〇米ドル(以下単に「ドル」という。)、合計二五、九〇〇ドルの外貨の割当を受けて、そのうち二、三六一ドルは昭和三五年会計年度中に、残りの二三、五三九ドルは昭和三六年会計年度中に送金することとし、その送金事務は被告人会社にこれを行なわせることとなつていたのである。そして、この役務に関する契約をすることについては、同年三月二四日付でRKBに対して大蔵大臣の許可があり、昭和三五年度下半期分として一、四八二ドルの送金が認められたが、その後同期分の追加として三、二九〇ドル、三六年度上半期分として五、七二八ドルの送金が認められたに止まり、当初予定されたような送金ができず、同年度下半期分としては、昭和三七年三月六日にRKBから許可条項変更の申請がなされ、一本の単価を三〇〇ドル(合計一一、一〇〇ドル)に減額するという許可条項変更の申請がなされ、同月三〇日付で残金六〇〇ドルの送金が許可されたことが認められる。このことと、その他一件記録に現われたところとを総合すると、このテレビ映画については、当初予定されたような送金の許可がなく、送金しなければ映画フイルムを入手することができず、一方このテレビ映画はシリーズ用で続けて放送しなければならなかつたため、RKBおよびそのネツト局としては苦境に立ち、被告人会社としてもNTAに対する関係上送金が確保できなければその立場が非常に苦しいばかりでなく、代理店契約を解除されるおそれもあつたので、これらの窮状を打開するため被告人が原判示のように許可を受けずに送金し、ただ通関等の必要上前記のように単価を減額した形をとつて許可条項を変更したという論旨の主張はこれを肯認することができるのである。その意味で、被告人のしたことには、たしかにそれなりの理由があつたということはできる。しかしながら、その理由とは、要するにRKBなど国内放送局の苦境を救うことであり、またNTAの代理店としての被告人会社の地位を守ることであつた。もとよりそれらのことが被告人会社および被告人にとつて重要でない問題だというのではない。しかし、そのためにすぐ外国為替に関する法令の禁止にそむいてよいかどうかはまたおのずから別の問題である。被告人会社としてはこの際法に従うことによつて有形無形の損失を受けることが考えられるけれども、それだからといつてそれを免れるために為替管理に関する法の禁止を無視することが非難されずにすむものとは思われない。もともと外国為替管理に関する法令は国民の経済的自由を制限する内容をもつもので、いきおい場合によつてはその規制を受ける者に対し経済的犠牲をしていることもありうる性質のものであるが、それにもかかわらず国は国家経済の必要から国民がその規制に従うことを要求し、期待しているのである。いま本件についてこれをみると、なるほどRKBその他の国内放送局としてひとたび開始したシリーズもののテレビ映画の放映を中断することは種々の点で困ることであろうし、ことに被告人会社としては所定の送金が行なわれなければNTAとの関係でその立場が非常に苦しくなるということは理解できるところであり、その結果将来代理店たる地位を失うおそれを生ずるということも決してありえないとはいえないけれども、外国為替管理の重要性にかんがみれば、もとよりこの程度の犠牲を避けるために法の禁止を破つてよいとはいえないし、また通常の国民に対してこの場合あえて法に従うことが期待できないとは思われない。いわんや被告人は大学教育を受け社会の第一線で活躍する十分な能力を備えていると認められるのであるから、為替管理に関する法令の重要性を理解し強い義務感をもつてこれを遵守することは当然期待されてよいはずである。原判決の判示する前記違反行為は、前記のような事情があつたにしても、結局は被告人の法の遵守に対する義務感が薄かつたことに基因するものと認むべきで、その義務感は右に述べたように被告人に対しては十分期待することができたと判断されるのであるから、期待可能性を欠き責任を阻却する行為だということはできない。また、そればかりでなく、被告人会社およびRKBがこのような事態に追い込まれるに至つた事情をさらに検討してみると、RKBとしては自分だけの使用しうる外貨は年間を通じても八、〇〇〇ドル程度にすぎないが、同じ映画を放送するいわゆるネツト局を増加してそこから外貨割当が提供されることを予期し、かつ昭和三六年中には自由化して外貨がかなり自由に使用できるようになるだろうという思わくもあつてこの映画の放映権を賃借することとしたのであるが、大蔵省としては、外貨の割当の多い東京大阪の放送局が参加しなくなり、さし当つてはRKBのほか中部日本放送・北海道放送だけで、年間の割当を全部合算しても二四、〇〇〇ドルしかないため、契約が不履行となることをおそれてなかなか許可しなかつたところ、RKBの東京支社長と被告人会社の社長である被告人との連名で万一ネツト局が増加せずそのため予定どおりの決済ができない場合にはRKBとNTAとの間で話し合い、支払期限を延長するなどの方法で決済面での問題が起こらないようにするからと誓約する趣旨の書面を差し入れたので、大蔵省も結局これを許可したこと、そして、予定どおりの送金ができなくなつたのは、その後参加放送局はふえたけれども各局に予想したほどの外貨割当の余裕がなかつたためで、別段大蔵省のほうで外貨の割当自体を減らしたためではないことが認められる。としてみると、この場合被告人をして原判決のような行為に出るに至らせた事態が生ずるについては、被告人にも決して責任がないわけではなく、むしろ慎重な判断を欠いたため見通しを誤つたことがその主たる原因をなしているといわざるをえないのであつて、そのことについて他を責めることはできないのである。したがつて、この点からみても被告人の所為が期待可能性を欠くという主張は採用することができない。また前記のように事後に許可条項の変更がなされたことをもつて過去における被告人の無許可送金を大蔵省が暗黙のうちに承認したことになるといえないこともいうまでもない。論旨は理由がないといわざるをえない。
同一の(ロ)(「ザ・サードマン」関係)について。
論旨は、テレビ映画「ザ・サードマン」は三九本のシリーズ用のものであり、その単価は一本五〇〇ドルであるのに、大蔵大臣はその役務契約の許可にあたつて外貨事情から三箇月ごとに三、二五〇ドルの送金割当しか認めず、最後に九、七五〇ドルを送金することを認めたのであるが放送局である株式会社日本教育テレビ(以下「NET」という。)が所定の映画フイルムを入手し放送を中断することなく継続するためには、三箇月ごとに六、五〇〇ドル(一三本分)を送金しなければならなかつたため、被告人会社がやむをえずその差額を送金したもので、この行為もいわゆる期待可能性を欠くと同時に、大蔵省はこの事態をよく認識しながら前記のような許可を与えたものであるから、被告人がこのような無許可の外貨送金をすることを黙認していたものだというのである。
そこで、記録を調査してみると、「ザ・サードマン」の放映に関する被告人会社とNETとの契約は昭和三六年九月二六日付でなされているが、これに関するNETに対する外貨の送金は、一本につき五〇〇ドルの割合であるのにかかわらず、NETに割り当てられた外貨の残がその年度中は少なかつたため、初めの三回はそれぞれ三、二五〇ドル、すなわち提供を受けるフイルムの数(各回一三本)と対比して計算すれば半額だけでよいことになつており、最後の翌年度の昭和三七年五月三〇日までのところで残額の九、七五〇ドルを一回に送金することになつていて、その条件で大蔵大臣の役務契約の許可を受けたこと、しかし実際はNTAとしては一本五〇〇ドルの割合の送金がなければフイルムを被告人会社に渡さず、したがつて被告人会社としては契約に定められたとおりこれをNETに納入することができなくなるため、被告人が右の金額と許可された額との差額を無許可で送金したことは所論のとおりである。これによれば、被告人会社が契約に従つてNETに右の映画のフイルムを納入するためには右のような無許可の外貨送金をせざるをえなかつたことはたしかに認めざるをえない。しかし、このような事態はもともと被告人会社がNETとの間に右に述べたような内容の契約をしたことから当然に起こつたもので、被告人会社にとつては明らかに予想されたことであり、しかもその契約は被告人会社が任意にその責任をもつて締結したもので、そのような契約をしないことももとより可能だつたのであるから、それによつて生じた事態を理由として行為の期待不可能をうんぬんすることができないことはいうまでもない。また、一本分の全額をその都度送金しなければNTAからフイルムを送つてこないかどうかは被告人会社とNTAとの間の問題であるから、そのことをNETとしては知らず、右の契約どおりの外貨送金で予定どおりの放映ができると信じて契約したという趣旨の原審証人伊藤元の証言も決して不自然ではないし、いわんや大蔵省の係官がその間の事情を知つていながらなおかつ前記のような許可をしたか、被告人が無許可で外貨送金をするのを黙認したとかいう点に至つては全然根拠がなく、そのような事実があつたと疑うべき節は存在しないし、被告人がこの場合無許可で送金することを許されたと思つたとも到底考えられない。なお、論旨は、前記契約書の第三条第三項但書に「甲(NET)が(イ)(ロ)(ハ)(各三、二五〇ドルの分)に於いて増額して送金したる場合は、(二)(九、七五〇ドルの分)に於いて精算、減額して送金することはかまわない。」とあるのを理由として、NETは無許可送金を予想していたものでありしたがつて共犯だとも主張するが、右の但書は将来割当外貨に余裕が生じたときに改めて許可を得て送金する場合のことを定めたものと解してもなんら矛盾はなく、これを理由としてNETが共犯だとするのは当たらないし、かりにがNETその情を知つていたとしても、そのために被告人および被告人会社の罪責が消滅するわけのものでもない。これを要するに、この点の論旨も理由がない。
同二について。
論旨は、原判示第一の別表9・10の所為は、当時被人告会社が代理店をしていたフリーマントル社およびバーナーフイルムス社に対し中国人または米国人らの第三国人を幹部とする同業の日本法人が日本における代理権を奪おうとしてテレビ映画「世界の秘境」および「ヒツトラーの秘密」の米ドルによる賃貸を申し出で、被告人会社としてはその代理権を奪われる重大な危難に臨んだので、これを避けるためやむをえずしたものであるから、緊急避難に該当するというのである。
しかしながら、たとえそのような事情があつたにせよ、為替管理に関する法令を遵守すべき義務は重大なのであつて、被告人会社が前記の二つの会社の代理店の地位を失うことを避けるためにはそれに違反してよいというものではない。いわゆる法益権衡の原則からみて、その行為が違法性を欠くとはいえないのである。また、この場合被告人会社の置かれた立場に同情すべきものがあることは窺えるにしても、しかしそのために被告人の責任を阻却するとまではもちろん考えられない。それゆえ、この点の論旨も理由がない。
同四について。
論旨は、原判示第二の七五〇万円は国内各放送局が外国テレビ映画の再放映権の賃借料金とその日本語版製作料とをナシヨナル・ブロードキヤステイング・カンパニイ(以下「NBC」という。)に対し円貨で支払つたものの一部で、被告人会社がNBCのためこれを保管していたにすぎず、原判示第二の行為はNBCのアルヴイン・フアリガーの命によつてその保管をNBCに代つて受け取るために設立されたテレビジヨン技術株式会社に移しただけのことであるから、外国貿易管理法第二七条第一項第三号にいう「非居住者のためにする居住者に対する支払」をしたのは国内放送局であり、「当該支払の受領」をしたのはテレビジヨン技術株式会社なので、被告人の行為は同号には該当しない、というのである。
そこで考えてみるのに、一度放映された外国テレビ映画のいわゆる再放送については、実際は大蔵大臣の許可を受けることなく国内各放送局が円貨によつて支払をしていることが多いことは記録上認められるところであるが、これもまた本来はNBCその他の非居住者である外国テレビ映画会社に支払われる性質のもので、それが直接には代理店である居住者に支払われる場合でも、前記法律の当該条項にいう「非居住者のためにする居住者に対する支払」に該当するという論旨の主張も決して理由のないものとは思われない。また、その日本語版の製作料も、外国テレビ映画会社と日本におけるその代理店との間にその著作権の帰属について意見が一致せず、現在までの段階ではその製作料も一応は外国テレビ映画会社に帰属する取り決めになつているというのであるから、国内放送局からのその支払も右の再放送料の支払と同じ性質をもつといえないことはない。そして、もしそうであるとすると、本件の場合も、国内各放送局が被告人会社に再放映料および日本語版製作料を円貨で支払つたときに無許可での「非居住者のためにする居住者に対する支払」と「当該支払の受領」が成立したことになるといわざるをえないのである(論旨は、この時には「当該支払の受領」は存在せず、被告人会社がその円貨をテレビジヨン技術株式会社に移したときに同会社の「支払の受領」が成立すると主張しているようであるが、国内放送局の円貨による支払が「非居住者のためにする支払」であるならば、被告人会社がこれを受領する行為がこれに対応する「支払の受領」にあたることは当然である。論旨はあるいは被告人会社を国内放送局とテレビジヨン技術株式会社との間の使者のように考えているのかもしれないが、被告人会社を単なる金銭授受の使者のようにみることができないのは記録上明白である。)とすると、次に被告人会社がその受領した円貨をさらにテレビジヨン技術株式会社に移した行為の性質が問題となるわけであるが、これもまた前記条項にいう「非居住者のためにする居住者に対する支払」に該当するといわなければならない。テレビジヨン技術株式会社はNBCが日本で円貨で受け取つたものを入金させる目的で日本に設立した会社であることは明らかで、このことは論旨もまた争つていないところである。そして、ひとたび「非居住者のためにする居住者に対する支払」として支払われた金銭でも、これを受領した居住者がさらにこれをその非居住者のために他の居住者に対して無許可で支払えば、同じく外国為替及び外国貿易管理法第二七条第一項第三号に違反し、同法第七〇条第七号に該当すると解しなければならない。けだし、法が規制しようとしている非居住者に対する支払はその二名以上の居住者たる代理人を介して段階を追つて行なわれる場合が容易に考えられるが、これをその各段階を通じて規制するのでなければその規制の実を挙げることはできず、法の趣旨とするところもまさにそこにあると考えられるからである。それゆえ、原判決がその判示第二の所為につき前記法条を適用したのは正当であつて、法令の適用に誤りはなく、所論のように国内放送局ないしはテレビジヨン技術株式会社が罪責を問われていないということも要するに検察官の公訴権行使の問題であるにすぎず、被告人および被告人会社の刑事責任を左右するものではない。したがつてこの点の論旨も採用することができない。
以上の次第で、論旨はいずれもその理由がないから、刑事訴訟法第三九六条によつて本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法第一八一条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。(新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎)